ドイツの保育園 先生を名前で呼ぶ子供たち

掲載日:2016年05月20日

新緑からこぼれ落ちる日差しが心地よいベルリンから今日は!

ベルリン観光個人ガイド通訳、プロジェクト仕掛人後藤裕起子です♪

さて、学校では新学期が始まり、気持ち新たにスタートを切られたことと思います。 また、今年から就職をし、新採用社員として、毎日慣れない職場で奮闘されている方もいらっしゃるかも知れません。 そんなあなたに、今日は、西ベルリンの保育園で1年半先生として働いた体験をお話しさせて下さい。

保育園の子供達は、先生を名前で呼びます!」

私が働いた保育園は、その当時ドイツ赤十字附属で、生後半年からの赤ちゃんから小学校に上がるまでの5才児までの子供達を預かり、月曜日から金曜日まで、時間帯は8時から16時までの対応が設定されていました。

ドイツと日本の幼児教育のシステムの大きな違いは、まず、行政的には、仮に乳児を預からず、幼児のみを対象にした教育施設でも、厚生省の管轄に入り、文科省の枠には入りません。

私の受け持った子供達は、先生が1つのグループに2人つきました。1グループの子供達の数は、15人。それも年齢は縦割りで、3歳児、4歳児、5歳児達がほぼ均等に配分されていました。 いわゆる学校にある教育課程というのは、ここにはなく、あくまでも担任の先生の創意工夫により、子供達はのびのびと遊びを楽しんでいました。

私の組んだ先生は、フェリチタさんという方で、優しい人柄には、みんな子供達はすぐに心を開いて行きます。 彼女のことを、子供達は「フェリチ~」と呼んでいましたし、私のことは、Yukiko」。。何だかお友達にしてもらっているって感じしてましたよ、、笑 。

あの当時は、私のドイツ語を理解するのには、ファンタジーが必要だった!ブロークンもいいところで、 同僚のフェリチとは英語で話していました。と言っても大したことのない英語で、、。 なので、子供達に童話を読んであげるためには、1週間位自宅で予習をして、取り組んでいました。

とにかく、1冊の薄い本を読み終わると、ど~っと冷や汗が流れ出る!とそんな状況だったんです。 しかし、そんな私の心境も知らず、子供達は、遠慮なくドイツ語で話しかけて来るんですよね。。

ある日、ヨナタンという男の子にドイツ語で話しかけた時のこと「Yukikooo, 悪いけど、ぼくYukikoの英語分かんないんだよね~、ドイツ語で話してくんないかな??」ここまで、面と向って言われると、「あんた、何言ってんねん。アタシの話してるドイツ語わからへんの~。人の話しは心で聞くもんやで~」こんな会話もあったんです、、笑。

そのヨナタン、今ではTVのモデレーションをしているとか。。

「自由保育の中で思い思いの遊びを楽しむ園児たち」

グループごとに、教育内容は違います。同僚のフェリチとは、平均1ヶ月~1ヶ月半位の長さで、季節や社会習慣にあったテーマを取り上げ、そのテーマに沿って、遊びが展開させていくようにしていました。

例えば、丁度今の時期であれば、4~5月 春を見つけてみよう というテーマをセット。この春を見つけるという中に、森で散策したり、教室で母の日父の日のプレゼントを作ったり、一緒にクッキングしたり、本を読んだり、自分の絵本を持って来て、お友達に紹介したり、遠足に行ったり、水泳に言ったり、人形劇を観に行ったり、とその行動の中に、春をテーマに置く。 また、フェリチ曰く、 「折角私たちのグループに、Yukikoが入って来てくれたんだから、、。」 日本の慣習、文化の紹介もさせて頂きました。 さくらさくらの歌を歌ったり、折り紙を使ってお花を折ったり、、、。私はきれいな日本の桜の写真のついている雑誌を持って行き、子供達に日本の桜の話しをしたり、娘の浴衣をもっていって、着てみたい人には着せてあげました。

ところで、ドイツには紙芝居がないようなんです。家にあった日本語の紙芝居、とっても珍しかった様です。 1日の日課は、8時30分に保育園で朝食を食べる子供は、登園。 ゆっくり、朝食を取った後は、教室のコーナーにおいてある、ソファや絨毯の上に寝転がったり、楽な姿勢で先生の童話の朗読が、始まります。 その後、30分~40分位、皆で一緒に何かをする時間があります。 その日によっては工作をしたり、歌を歌ったり、劇をしたり、 それ以上は、15人の子供達が、皆で同じ遊びをすることはせず、数人の小さい単位で遊んでいました。 昼食までは、お天気のよい日には、子供達は園庭で自由に遊びます。 雨の日には、体育館で。園の近くに森があったので、そこへも散歩がてらよく行きました。 雨が降らない限り、「新鮮な空気を吸う」のは健康によいと考えているドイツ人は、寒い時にも暖かい格好で外に出かけます。

昼食は、園内にキッチンがあり、調理師さんと栄養士さんが、全部の子供達と先生の食事を作っていました。毎日おいしい食事が、何よりもたのしみ! 昼食が終ると、歯磨きの後、3歳児は、家に帰る子供もいれば、お昼寝のお部屋へ行き1時間位寝る子もいましたし、4歳児、5歳児は外で違うグループの子供達とも一緒に、ダイナミックに遊んでいました。

「悪いことをトコトンしかるドイツ人」

私たちのグループの隣りのグループの先生に、イリナさんがいました。イリナさんは、金髪のとってもセクシーな女性。スポーツ大好きなピチピチで、陸上選手でオリンピック選手の候補にもなっていたとか。身体の線がぐぐっと目立つワンピースがよく似合っていました。いつもトントンと音のする、かかとのウ~ンと高いハイヒールを履いて歩いていました。遠くにいても、誰が歩いて来るのか想像がつく、、。

まだ若いのに、お孫さんがいたり、ベルリンの壁が崩壊する前、東ベルリンからハンブルグに亡命。 東ドイツ時代に保母さんとして働いていましたが、その教員免許が西ドイツでは認められず、別の仕事をしなければならない悲しい状況になったようです。 壁が崩壊した後は、元の保母さんの仕事につけて、この仕事に情熱を傾けていたイリナさん。 そのイリナさんが、ある日、大変な剣幕で子供を叱りつけていました。 5歳児が、3歳児をいじめていたとか。その現場を偶然見つけた彼女は、5歳児の男の子に、「あんたが、いじめられたらどんな気持ちになるのか、わかる?」と言いながら、3歳児がいじめられていたことを今度は、彼女が彼にしてみせたのです。 その男の子は、小さくなって3歳児に謝っていました。 大人の私も震え上がるような、怖さでした! その日の午後、お父さんが5歳児の男の子を迎えに来た時、当然イリナさんは、今日の出来事を話していました。 お父さんの様子を伺っていたら、なんと「よくうちの子を叱ってくれましたね~。」とスッキリしていたんです。 誰が考えても、いじめはいじめた人が悪い!に決まっていると考えるドイツ人。 正悪の区別をはっきりと付ける。

これだ~日本の社会に必要なのは!!と深く納得した体験でした。

 

以上、第1話をお届けさせて頂きました。

ベルリンの保育園での職員としての同僚との体験を始め、ベルリン社会における幼児教育のアクチュアルなできごとなども 次回にはお話ししたいと思っています。 読者の皆様、宜しかったら、またお立ち寄り頂ければ幸甚です。

それでは、新緑のさわやかな季節、思う存分ご堪能下さいませ。